シーボルトの来園


1826(文政9)年4月6日(旧暦2月29日)に蒲原宿を出発したシーボルトが帯笑園を訪れ以下のように記しています。
             シーボルト江戸参府紀行   訳者 斎藤 信
                          東洋文庫 昭和42年3月10日初版発行
                                同42年6月10日三版発行
                          発行所 東京都千代田区 (株)平凡社


私は、原(Hara)[の宿場]に非常に有名な植物園があると聞いたので、ドクトル・ビュルガーと先発し、数時間に原に着いた。
日本風につくられたこの庭園は、私がこれまでにこの国で見たもののうちでいちばん美しく、観賞植物も非常に豊富である。入口には木製の台があり、いくつかの岩を配し、植木鉢には人工的に枝ぶりよく作ったマツの木がある。人に好かれているアンズ・サクラ・クサボケ・エゾノコリンゴ・カンアオイ―蘭科の植物は地面にきちんと並べて植えてあった。また、近くにはツツジが群れをなし、遠くにはツバキやサザンカがあり、石をけずって作った小さい池の周りにはコリンクチナシやシダが生えていて、色とりどりのコイがこれに生気を添えている。とくに好かれる庭木や飾りになる植物は特別の床に植えてあった。すなわちボタン・ユリ・サクラソウ・キク・センノウなどであり、たくさんの美しいカエデの種類やその変種はちょうど葉をひろげて、様々な明暗を示し、心地よい森となっていた。庭園の中央にはこざっぱりした亭があって、飾の花々(ヒメシャクナゲ・ナンテン・ナギなど)に囲まれている。また、温室もあり、その中でヤブコウジ・カンアオイや琉球産のものなどたくさんの植物が、初春の寒気から保護されていた。もう片方の側にはカシワ・イチイ・イトスギ・サクラ・アンズなどの林があって、瀟洒な亭に通じ、非常に愛らしい灌木や喬木がこれを囲み、四季を通じて居心地がよい。夕方近くわれわれは沼津(Numazu)に着き、同地に泊る。

訳者注)
◎この庭園は、庄屋植松氏の庭園で約五百坪、一部は京の高尾に、一部は金閣寺の庭に模して造られたという。当時の主人は植松与右衛門季英* (一七七四―一八三一)。植松氏の庭園は戦前までは昔日のおもかげをとどめていたが、戦中・戦後にかけて変わり、今日では建物および庭園は旧態をとどめていない。
*季英ではなく季興。